「宣教協議会って何ですか?1995年宣教協議会について」
今回と次回の「ぶどうの枝だより」(教区報版)では、過去に開催された宣教協議会について振り返ります。今までどのような宣教協議会が開催されたかを思い返すことで、2023年の宣教協議会へ臨む気持ちを新たにできればと思います。今回は、1995年の宣教協議会について取り上げます。
この宣教協議会以前にも、日本聖公会では宣教に関わる協議会が開催されましたが、「伝道協議会」あるいは「宣教協働協議会」という名での開催でした。「宣教協議会」という名での開催は1995年の協議会からです。
そもそも、宣教協議会とは何でしょうか。今までに開催された協議会を概観してみると、次のように言うことができると思います。すなわち、「その時代時代において、協議して方向性を定める必要がある宣教の諸課題について、日本聖公会全体としてなされる協議会」と。教会単位でもなく、また教区単位でもなく、日本聖公会全体としてというところに大きな力点があります。
1995年の宣教協議会は、8月28日から31日まで、清里清泉寮にて開催されました。主題は「日本聖公会の宣教―歴史への責任と21世紀への展望」。戦後50年の節目にあたり、「歴史、世界、社会、民衆の中で働いておられるキリストに生きる教会」が目指されました。参加者は184名でした。
塚田理司祭による主題講演「日本の歴史と宣教理解」や、ジョン・ボビー司祭による特別講演「21世紀への教会の展望―あらゆる場を変革するために―」が行われ、井田泉司祭による聖書研究「『正義を行う』ことへの召し」がありました。また、祈りの集いの中での韓国、フィリピンからの証言や、女性、障がい者、環境問題に関わる発題がありました。
これらの講演や証言、発題を受け、参加者による協議を経て、協議会最終日に「日本聖公会‘95宣教協議会 宣言」が採択されました。そこでは、「日本聖公会が戦争に加担した責任を痛みをもって自らのものとし、敗戦後、すみやかにこの責任を明らかに表明できなかった戦後責任を確認し(…)その罪責を神の前に告白し、被害を与えた隣人の前に謝罪」し「懺悔」すること、また「日本聖公会は、差別、抑圧を生み出し支えている社会構造自体を変革するための地の塩、世の光とならなければ」ならないことが表明されました。また、同じく「日本聖公会‘95宣教協議会共同ざんげ」が採択されました。
採択されたこれらの「宣言」、「共同ざんげ」に導かれるかたちで、翌年の1996年第49(定期)総会において、「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」が決議されました。この決議により、韓国・フィリピンをはじめとしたアジアの諸教会との交わりが深まることとなりました。またこの宣言は、1998年ランベス会議で紹介され、多くの国の人々に感銘を与えたようです。